どっどどどどう

ねじ

2014年08月14日 23:20

北国に住んでいた時は
宮沢賢治の詩や文から聞こえる音が身近だった

今、その音たちはとても遠くに感じる

風のどうどうと吹くようす
木の葉が風に踊るさま
遠くから聞こえる汽車の汽笛

忘れていたね

街には無駄な音が多すぎる

喧騒の中にいて
静かな心を保つのはなかなか難しい

目を閉じて
風の音を聞いても
横浜の空を又三郎は通りやしない


賢治の詩や文章の解説を聞くのが嫌い
文章で読むのはいいのだけれど
私の中ですでにできている音と
解説で聞かされる音のイメージが違うと
大切にしていたものが
どこかへ行ってしまうような気がする

長年自分の中で聞いてきた音と
人が読んでしまう音が違うのは当たり前
実際の賢治が作った音とは違うかもしれないけれど
それでいい

録画してあった
宮沢賢治の番組を見ていたら
音が違いすぎて辛くて
消してしまった

この5年賢治の本は手に取ることもなかったね
一度も行ったことがない小岩井農場
実際に行ったら観光地ぶりにがっかりしそうな気もするけど
20年以上前、安比のスキー場に行く途中に見た
雪野原の電信柱はほんとに月夜の電信柱だと思ったものだった
釜石線の眼鏡橋を河原の石に腰かけて眺めたっけ
盛岡の街をふらふらと歩き
宮沢賢治記念館はよく覚えてないけども

いつか種山が原で風の音を聞いてみたい

それより北国にても
宮沢賢治の音は本当にたくさん聞けたよ

ひさびさに
やまなしでも読んでみようかな

クラムボンはかぷかぷ笑ったよ




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